追悼 磐城葦彦 3作品
イギリス海岸
わたしの なかの カムパネルラ
あなたの なかの わたし
イーハトーブの 異国情緒に酔いながら
美しく 輝く 岸壁と みどりの
イギリス海岸との 出会いを
どれほど 夢見たか
星雲が 幾つも 解き放った 光の滴が
溢れていると語った 友のことばだったか
あるいは 真黒のフロックコートを羽織った
荒地を みつめていた 詩人だったか
岩手山と対峙した 姫神山から吹いてきた
セロの奏でる 風の歌に 誘われ
わたしは 野宿も 覚悟で 旅立った
注文の多い店で コーヒーを 一杯
銀河ステーションはどこかと 地図を探る
ここは 間違いなく イギリス海岸だ
波打ち際に 立っていると
もののけのかたちが 浮かんできた
それらは みるひとの眼に
想像するがままに みえてくるという
わたしが カムパネルラに 抱いた
じぶんだけの 多情で 勝手な 片思い
ジョバンニに悪い かりそめの 恋
きれいな ルビーの珠を イヤリングにし
あなたに贈ろうと 種山ケ原を 掘ったのも
思えば むなしい作為だったか
わたしの 憧れの イーハトーブ
又三郎が 森を徘徊しているところ
ウルトラマリンの空の下 馬の嘶くところ
だれかが おしゃべりしている
だれかが うたっている
わたしが あなたと
きのうも おとといも さきおとといも
歩んだ あなたの なかの わたし
それなのに きょうは ひとときも
歩こうとしても 足が 動かない
かなしばりにあってしまったか
イギリス海岸のむこう
早池峰の奥 シグナルが 点滅
遠い 北の 城下町の 友と
黒い帽子をかぶり 後ろ手に手を組んだ
あの 詩人とが わたしを 幻惑し
イーハトーブの 魔力で とりこにしたか
わたしの なかの カムパネルラ
あなたの なかの わたし
いま 二重にかさなりあい 写っているのは
永遠の イギリス海岸の もののけ
*イーハトーブは、岩手県東部の地方。
イギリス海岸も、宮沢賢治の作品中の呼称。
多喜二とともに
夜が 足早に やってきた
夜が どっぷりと 埋まってしまった
朝が 夜明けを 告げなくなった
朝が 闇をかかえたまま 動かなくなった
昼が とばりを背負い 重くなった
昼が 時間を寄せつけずに 止まった
そういう状況を さまよい
わたしは 多喜二について考えた
そのありかについて考えた
そうだ 多喜二の 生きて死んだときも
同じ 夜と 朝と 昼の 混った
乱れに乱れた くりかえしに
息が できなかったに 違いない
多喜二は どこでも たたかった
たたかいの一兵士は どこへでも出向き
はたらくものたちの姿を 直視し
たしかめながら 血と汗を 書きつづけた
筆こそは 鋭い 銃眼
撃つ相手は あいつらだ
官憲との弾圧との たたかいだ
「文章は海綿だ」
「作者の心理と感情だ」
「たっぷりと浸れ」
「プロレタリア的に生き生きとして……」
「生活と行動」
「そこから生まれるのが……」
たたかいの のろしだ と
わたしは いまになって五体が
ふるえるほど 強く 感じた
勝手な きままな 支配と権力のふるまい
首切りも あたりかまわず 横行
いつになっても あいつらは 存在
弱いものは いつも 弱く
きのうも きょうも あしたも
のたれ死と 同じ
その先は どうなるか
多喜二は 暗い深淵のむこうで
手を ふっているか
かすかな 燐光を 放っているか
ごうもんの果てに 息絶えたが
多喜二は 一歩 また 一歩 と
たたかったから 殺されたが
わたしのなかの 多喜二は 死んでいない
多喜二の 言葉は 不滅
いまも この世は 戦場だ
何度でも問う 平和を
大海原のむこう たくさんの国がある
たたかいをやめないで 血を流している
貧しく 飢えた 国がある
かつて 祖国は 同じように
いのちを失い 町も 村も 荒れ果て
再生の道さえも 失ったが
あかりをともし 生きる力を呼びおこし
未来へつないだのは 平和の証し 九条
この道を歩くかぎり 失うものはない
殺さない 殺されない 教訓を
治夏秋冬 辻説法で 何度でも 問おう
無力なんかではない 詩人の言葉で
きょうも また わたしの心は高鳴る
京浜詩派 第230号より
わたしの なかの カムパネルラ
あなたの なかの わたし
イーハトーブの 異国情緒に酔いながら
美しく 輝く 岸壁と みどりの
イギリス海岸との 出会いを
どれほど 夢見たか
星雲が 幾つも 解き放った 光の滴が
溢れていると語った 友のことばだったか
あるいは 真黒のフロックコートを羽織った
荒地を みつめていた 詩人だったか
岩手山と対峙した 姫神山から吹いてきた
セロの奏でる 風の歌に 誘われ
わたしは 野宿も 覚悟で 旅立った
注文の多い店で コーヒーを 一杯
銀河ステーションはどこかと 地図を探る
ここは 間違いなく イギリス海岸だ
波打ち際に 立っていると
もののけのかたちが 浮かんできた
それらは みるひとの眼に
想像するがままに みえてくるという
わたしが カムパネルラに 抱いた
じぶんだけの 多情で 勝手な 片思い
ジョバンニに悪い かりそめの 恋
きれいな ルビーの珠を イヤリングにし
あなたに贈ろうと 種山ケ原を 掘ったのも
思えば むなしい作為だったか
わたしの 憧れの イーハトーブ
又三郎が 森を徘徊しているところ
ウルトラマリンの空の下 馬の嘶くところ
だれかが おしゃべりしている
だれかが うたっている
わたしが あなたと
きのうも おとといも さきおとといも
歩んだ あなたの なかの わたし
それなのに きょうは ひとときも
歩こうとしても 足が 動かない
かなしばりにあってしまったか
イギリス海岸のむこう
早池峰の奥 シグナルが 点滅
遠い 北の 城下町の 友と
黒い帽子をかぶり 後ろ手に手を組んだ
あの 詩人とが わたしを 幻惑し
イーハトーブの 魔力で とりこにしたか
わたしの なかの カムパネルラ
あなたの なかの わたし
いま 二重にかさなりあい 写っているのは
永遠の イギリス海岸の もののけ
*イーハトーブは、岩手県東部の地方。
イギリス海岸も、宮沢賢治の作品中の呼称。
多喜二とともに
夜が 足早に やってきた
夜が どっぷりと 埋まってしまった
朝が 夜明けを 告げなくなった
朝が 闇をかかえたまま 動かなくなった
昼が とばりを背負い 重くなった
昼が 時間を寄せつけずに 止まった
そういう状況を さまよい
わたしは 多喜二について考えた
そのありかについて考えた
そうだ 多喜二の 生きて死んだときも
同じ 夜と 朝と 昼の 混った
乱れに乱れた くりかえしに
息が できなかったに 違いない
多喜二は どこでも たたかった
たたかいの一兵士は どこへでも出向き
はたらくものたちの姿を 直視し
たしかめながら 血と汗を 書きつづけた
筆こそは 鋭い 銃眼
撃つ相手は あいつらだ
官憲との弾圧との たたかいだ
「文章は海綿だ」
「作者の心理と感情だ」
「たっぷりと浸れ」
「プロレタリア的に生き生きとして……」
「生活と行動」
「そこから生まれるのが……」
たたかいの のろしだ と
わたしは いまになって五体が
ふるえるほど 強く 感じた
勝手な きままな 支配と権力のふるまい
首切りも あたりかまわず 横行
いつになっても あいつらは 存在
弱いものは いつも 弱く
きのうも きょうも あしたも
のたれ死と 同じ
その先は どうなるか
多喜二は 暗い深淵のむこうで
手を ふっているか
かすかな 燐光を 放っているか
ごうもんの果てに 息絶えたが
多喜二は 一歩 また 一歩 と
たたかったから 殺されたが
わたしのなかの 多喜二は 死んでいない
多喜二の 言葉は 不滅
いまも この世は 戦場だ
何度でも問う 平和を
大海原のむこう たくさんの国がある
たたかいをやめないで 血を流している
貧しく 飢えた 国がある
かつて 祖国は 同じように
いのちを失い 町も 村も 荒れ果て
再生の道さえも 失ったが
あかりをともし 生きる力を呼びおこし
未来へつないだのは 平和の証し 九条
この道を歩くかぎり 失うものはない
殺さない 殺されない 教訓を
治夏秋冬 辻説法で 何度でも 問おう
無力なんかではない 詩人の言葉で
きょうも また わたしの心は高鳴る
京浜詩派 第230号より