赤線地帯 まえだ 豊 -京浜詩派 第218号より
赤線地帯 まえだ 豊
僕の家は 追浜からも船越からも
その途中に面してる
横須賀の方に出掛ける時には
必ず船越の方に行き 目的地に向う
少しばかり急な坂もあるが 坂があっても
その方が電車賃もバス代も 幾らか安く行ける
船越まで行く途中に 今はないが
皆ヶ作と読まれていた地域があり
六〇年くらい前までは 赤線があり
とっても栄えて 賑わっていた
毎晩のように あちこちに女性が立ち
呼び込みをしていた
僕は その頃はまだ幼かったから
何にも判らなかった
おふくろの下の弟が 結婚していたが
結婚生活がうまくいかなくて 毎晩のように
赤線地帯に入り浸りを続けていた
義理の私の父が よく見つけて連れ帰っていた
連れて帰っても またすぐに入り浸っていた
女房よりも 優しく可愛いがってくれるから
でもそのことが 二年ばかり続いたが
ようやく 目が覚めたみたいに
赤線地帯に通うのを止めてしまった
その二年後(一九五八年)には売春防止法が出来た
赤線にいた女性たちは 何処へ行ったのか
知る訳がなく みな姿が消えた
六〇年経った今日
この地域に赤線があったこと
そしてこの辺りを皆ヶ作と
読ませていたことも
知る人は少なくなった
仮に今 赤線があったなら
僕もきっと伯父さんのように
毎晩のように通っていることと思いつつ
その街並みを通り過ぎているのだ
京浜詩派 第218号より
僕の家は 追浜からも船越からも
その途中に面してる
横須賀の方に出掛ける時には
必ず船越の方に行き 目的地に向う
少しばかり急な坂もあるが 坂があっても
その方が電車賃もバス代も 幾らか安く行ける
船越まで行く途中に 今はないが
皆ヶ作と読まれていた地域があり
六〇年くらい前までは 赤線があり
とっても栄えて 賑わっていた
毎晩のように あちこちに女性が立ち
呼び込みをしていた
僕は その頃はまだ幼かったから
何にも判らなかった
おふくろの下の弟が 結婚していたが
結婚生活がうまくいかなくて 毎晩のように
赤線地帯に入り浸りを続けていた
義理の私の父が よく見つけて連れ帰っていた
連れて帰っても またすぐに入り浸っていた
女房よりも 優しく可愛いがってくれるから
でもそのことが 二年ばかり続いたが
ようやく 目が覚めたみたいに
赤線地帯に通うのを止めてしまった
その二年後(一九五八年)には売春防止法が出来た
赤線にいた女性たちは 何処へ行ったのか
知る訳がなく みな姿が消えた
六〇年経った今日
この地域に赤線があったこと
そしてこの辺りを皆ヶ作と
読ませていたことも
知る人は少なくなった
仮に今 赤線があったなら
僕もきっと伯父さんのように
毎晩のように通っていることと思いつつ
その街並みを通り過ぎているのだ
京浜詩派 第218号より