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五族協和      荒波 剛      京浜詩派 第218号より

五族協和      荒波 剛

一棟のみの横長平屋建ての簡素な建物の全景は
広い駐車場と間隔をあけて植樹された立木が
十一月初旬の青い空をバックに浮き出ていた
長野県下伊那郡阿智村は太平洋戦争末期に
「五族協和」の美しい言葉で村人を煽り
送り出した長野県最後の満蒙開拓団の出身地
ここに「満蒙開拓平和祈念館」がある
地元の中学校長を退職されて間もない先生が
十人一組のグループのガイド役をしてくれた
入口左手の4室には間仕切りされた展示室に
掲示された地図や写真を前に 村の歴史が
戦争の愚かしさを 恐ろしさを描き出す

世界地図の上に自国の〝生命線〟を引き
長い歴史を築き上げて来た人々の生活の場を
軍事力と金力で囲い込み 思うままになる
「人形」を送り込み 体裁だけの国家を作る
標的にされて 中国東北部に〝満洲国建国〟
そこで長く生業を営んできた農民は追われた
僅かの現金で釣られ 借金のかたに奪われた
進出した国の貧しい農民は 国の力と技術を
その地に植えつけ 元々の住民も我が国民も
その地を王道楽土に作り替える聖なる仕事を
日本人と現地在来の満洲、漢人、朝鮮、蒙古
5つの民族が手を携え「五族協和」務めよう
――これが国策、一億火の玉と突き進んだ

勝手なシナリオを喜んで演じても相手がある
募る不満と恨みと怒りは 重なり募るばかり
そこに不可侵条約を破棄したソ連軍の侵攻
一九四五年八月八日黒竜江を渡河した部隊は
ウスリー江,牡丹江…大河に沿って南下して
開拓団居留地に迫る 寝耳に水の話であった
村には「十日朝十時に避難」の県の命令が届
き開拓民はそれに従い荷物をまとめ村を出た
「無敵」関東軍は南部に移って「持久戦体制」
を取るとの理由をつけて移動した
………早い話が見捨てられたのだ
女は男装し 力ある老人子どもは荷を担いだ
南の町へと逃避する開拓民へ 進入したソ連軍と復讐心に燃える現地人が襲いかかった
働き盛りに育っていた開拓団の二、三十代の青年 の圧倒的多数は徴兵され不在だと言うのに

当初の「満洲国移民政策」に従い
昭和七年十月(五・一五事件の年)
渡満熱を煽り 第一次移民団を送った
昭和十一年八月(二・二六事件の年)
右「移民政策」を〝七大国策〟の一つと定め
以後 二十年で百万戸の移民を実現するとした

一方、開拓民たちの中には「近所の現地人と
は仲良くたすけあって暮らしていた」、「ソ連
兵には怪我や病気の薬をもらったり親切にさ
れた」と言う証言も少なくない。

全国の村々から送られた開拓団の団員三十二万
余人の内。長野県は約三万八千人全国一位。
山村・阿智村から渡満の開拓民は二一五人、
その内、戦後未帰還の者一五一人と言う

ガイドの先生は穏やかな話しぶりで誰かを糾弾すると言った話しぶりは欠片もなかった
しかし事実はありのままに伝える態度だけは貫かれていた。
記念館に展示された記録から滲み出るものが、
先生の心中を伝える。
「戦争は戦う双方を傷つけ、取り返しのつかない悲しみも与え、互いに恨み復讐を誓う鬼にもするが、それは人の本性ではない」
平和を求める心こそが本来の人間の心だと語り
たいのだ これが私に強く伝わったこと。
頭には白髪を載せる私であるが、残る時間を
平和な世界実現のため役立てたい との思いを 
私は青空を見上げ誓っていた。

*参考文献=角田 房子著 『墓標なき八万の死者 満蒙開拓団の壊滅』発行所・中央公論社 昭和五十一年三月十日初版




五族協和      荒波 剛      京浜詩派 第218号より

テーマ : 詩・ポエム
ジャンル : 小説・文学

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